私は、ひょんなことをきっかけにこの秋(2020年秋)から音声配信をはじめました。
ダンサーなのに音声配信ですよ。笑
ん?と思われた方、いらっしゃるかと思います。
ちなみに、音声配信やブログなど未経験です。笑
20代ですが、SNSを駆使してるタイプでもありません。笑
それでも、はじめてみたんです、いろんな状況が重なったこともあったので。
そしたら、今まであまり出会うことがなかったいろんなご職業の方と音声配信で出会い、ご縁もあり。ある方との出会いを機に、この【スタエフ特化型サイト”ボイログ”】の作成に関わらせてもらうことになったんです!!!(かなりビックリです、本人。笑)
人生、28年目。
今までに経験させてもらったお仕事は、”30コ超え” 。
人生何が起こるか、本当にわかりませんね。
実際のところ、ダンス”以外”のお仕事のほうがたくさんさせてもらってますが(笑)、一見、ダンスと無縁にみえるお仕事でも、「長い目でみてみると、何かと役に立つことが意外とあるもんだな〜。やってよかった!」と今も日々感じております。
現在、兵庫の田舎出身で、“ダンサー“のたまご中のたまごの私は、複数のお仕事を掛け持ちしながら、2020年冬から “車両整備士補助” としてもお仕事させていただいております。
「ダンサーなのに、
車整備補助のお仕事もしてるの!!?」
そう思われる方がまたまた多いんじゃないかなと思います、はい。笑
そして、それらと並行して、さらにさらに新たな取り組みがはじまりました!
ダンサーや車整備補助士などのお仕事をさせてもらってる私が、
次はまさかの”ブログ“!?です。笑
生きていた28年間で、数多くのお仕事だったり、壁や谷・ドン底をたくさん経験してきたからこそ、感じることや気づくこと、お伝えできることがあるかと思いますので、
ぜひ見ていただけると嬉しいです!
前置きが長くなりましたが、私の説明は、こんなもんじゃありません。笑
ただ、気軽に見てみてください。笑
何回かにわけて、読んでいただくのもオススメします!よろしくお願いします!
目次【読みたいところだけ読めます】
プロフィール
名前 | くみ / Kumi |
---|---|
年齢 | 20代 |
出身地 | 兵庫の田舎 |
属性 | 自宅留学ダンサー/車整備補助士+音声配信者 |
特徴 | ジャズダンス,J-POP好き/大のさつまいも好き/ゆるグルテンフリー&無添加生活/マイブーム:しっかり食感の焼き芋🍠/趣味:ビジネス関連のことを学べそうな動画をみること |
お芋はホクホク派です🍠💕
また今後、お芋について語る記事も書きたいなと考えてます!笑
たくさんのお芋好きさんとも出会えますように。
そしてここからは、私にとってかかせない“ダンス”のはじまりを話してます。
ダンスとの出会い
私が5歳の頃、母親に連れていってもらった夏祭りで盆踊りを踊っていると、それを見ていた女性に声をかけられ、、、私のダンス人生がスタートしました。
声をかけてくれた方は、ダンスの先生をされていました。
音楽が好きな両親に育ててもらった私も音楽がとても好きだったので、ダンスを習い始めてからレッスンの時間がとても楽しくて、ダンスを好きになっていきました。
“好き” を仕事にするには
「“好き” “楽しい” を仕事にしたい」
気づけばそう思うようになっていて、スタジオでも学校でも家でもダンスを練習しましたね。
帰宅してからは、夜ご飯の時間を忘れるくらいLIVE DVDを観ては上手な人をマネてみたり、研究したり。当時小学生だった私は、友達と遊んでる時もアイドルのダンスをコピーしたりと、遊びの時間もダンスを踊ってたことが多かったです。
中学生になってからは、家にいるときは部活とは別の筋トレをやってみたり、“スキルって練習以外には何をしたら上がるのか”疑問に思ったことはとことん調べてみたり。図書館に行ってダンスや体育系の本を読んだり。
ダンスに本気で取り組み、ダンスを仕事にするにはどんな方法があるのかなど考えては調べてやってみたり、こんな感じで過ごしていました。
もちろん、それは外で習っていたダンスの他に、勉強や部活、全て両立させながら。遊びよりもダンスの毎日でした。
さらに、私の通ってた中学校は体育の授業や体育祭でダンスの時間があったので、より良い立ち位置で踊らせてもらえるよう、中学生なりに勉強してテストに挑んだり、良い立ち位置の獲得を目指して練習に励んでいました。
「考える時間も練習の時間も将来絶対役に立つ!」
そう思って手を抜きませんでした。
また、高校受験のときは、“学力よりもダンス部がある学校” “ダンス部に力を入れてる学校” に通いたかったので、対象となる学校の資料をひたすら取り寄せましたね。
何度も親と家族会議をして。結果、金銭面の都合上、公立校の中から個人的に気になったダンス部がある高校を受験。そして、受かりました。
待ちに待った体験入部の期間は1週間。私は初日に【ダンス部 本入部届】を出して、即入部しました!
二年生・三年生の先輩方と一緒にたくさん練習させてもらいながら、外部のイベントや校内の三大行事のうちの一つ”文化祭”でダンスを披露しました。
待ってましたでダンス部の凄さ・良さを見てもらえる日でもあったので、毎日練習してきた成果を存分に発揮できて楽しかったですね。
ちなみに、私はこの高校に入学して間もなく、卒業後はダンスの専門学校に通いたいと思っていたので、金銭的に余裕がない家のことをそれなりに理解し、入学からまもなくバイトデビューしました。
そして、家の状況にも合わせて掛け持ちも始めました。(バイトデビューからの掛け持ちはめっちゃ頭がパンパンになりましたね、シフトをバラバラに考えたり仕事内容とかも違うので。)
そして、進路相談の時、私は自分が思う希望の進路を自分なりに先生に伝えたんですが、「ダンス!?あなた、それ本気で言ってんの?」きびしさ鼻で笑われました。
それは三者面談のときも同じでした。
「あの先生にも応援してもらえるようにならなきゃね!」
帰路で母とそういいあましたね。
そんなこんなで高校の先生に鼻で笑われ、本気なのか疑われながらも、部活だけでなく勉強も負けじと一生懸命取り組みました。
中間、学期末テストは連日ほぼ徹夜はもちろんのこと、ホームルームなどで行われる小テストもガッツリ勉強。鉛筆を走らせまくり、その手の外側を芯で真っ黒にさせるほどでした。(やりすぎ。笑)
ちなみに、体育や音楽は好きですが、
実技のテストもちょっとした下準備は欠かせないタイプでしたね。笑
油断禁物 みたいな。笑
いつしか、塾にも通わせてもらうことになり、親や周りの人のおかげや一生懸命勉強にも取り組んだかいがあって、成績は伸びていきました。自分のことで親や周りの人も喜んでもらえると、すごく嬉しかったですね。
だから、”もっとがんばろう!”ってさらに思うことができました。これは、ダンスにおいても同じ気持ちでした。
いろんなことを並行しながら全て必死に取り組んだ結果、私は私立大学への高校推薦をいただきました。
本当に驚きました!親もとても喜んでくれました!
ただ、私はダンスの専門学校に行きたかったので、その気持ちを親にも学校の先生にもしっかり伝えて、ありがたい推薦を蹴らせてもらうことにしました。そして、高校生活と並行しておこなっていた全てのバイトのお給料を出す覚悟を決め、ダンス専門学校を受験。
合格通知をいただき、
入学することができました。
もちろん、バイト代も全てなくなりました。笑笑笑
最終リハーサルで大事故

入学してからは、ダンスや歌のレッスン、座学、作品ごとに朝練、深夜練が入ってきたり、それらと並行してバイトも続けたり、なんなら掛け持ちもしたり。
とにかく目まぐるしい生活が続きました。
そんなこんなで卒業を真近にひかえ、私は卒業後の進路について不安を抱えていました、
音楽やダンスの道は想像をはるかに超えるくらいお仕事が決まったり頂くことは厳しい。専門学校に通っていても、卒業後のお仕事が確定するなんて、そんなやさしい世界ではないことを改めて痛感したんです。
そんな世界でのお仕事を目指す私が、卒業を目前に今から何かお仕事が決まるのか?と。
私は、卒業後の音楽系の進路が決まらず、どうしたらいいのか困っていたある日、学校長さんからのお話しを機に、とあるオーディションを受けることになりました。
“水族館がイルカショーのパフォーマーを募集してる”とのことでした。
私はそのオーディションを受けることに決めました。オーディションは数日間にわけて行われ、後日、私のお家に1通の封筒が届きました。中には、合格通知と今後のスケジュールがビッシリ書かれた書類がみっちみちに入ってました。
イルカや水族館のイメージとは真逆すぎますよね。笑
数日後からショー本番の日に向け、毎日練習がありました。その場所までは自宅から結構な距離がありましたが、それでも毎日通いました。
それと並行して学校の卒業作品発表の練習も最終調整に入り佳境に。
バイトにも行っていたのですが、、、
本番前日のパフォーマンス練習中。
“ブチッッッ‼️“と足のほうから音が聞こえました。
すると、次の瞬間から、膝に違和感を覚えました。「まさか、、、」と思って、歩き出そうとしたら、今までとおりに歩けなくなってました。膝を伸ばして真っ直ぐ立つこともできなくなったんです。
「どれくらいで治るけがなんやろ?」
と思うと同時に、
私がそのとき控えていた“学校の卒業作品発表“と“イルカショーのオープン当日/本番“にどれだけ影響を出さずにクリアできるか。
まず、この不安が頭の中をかけめぐっていました。
作品発表やショーの本番に穴をあけたら(欠席/不在)、どれだけ迷惑がかかるか。
ただ、判断を見誤って無理して出演し、本番でミスしました では許されない。
私は、特に本番の日が迫っていた学校卒業作品の発表に、怪我を負ったまま出させていただきました。
なんとか本番を終えましたが、すぐに病院は行き診てもらうと、医師からこう告げられました。
「あー、、、膝の靭帯切れちゃってるね。
手術しないと踊れないわ。どうする?」
と。
まるで、友達と次に遊ぶ日を決めてるくらいのようにさらっと告げられた現実でしたが、
それを聞いた私は全身の血の気がひいたように愕然としました。
「手術を受けないと今後踊れない」
でも、手術を受けたら8ヶ月〜1年くらい踊れなくなるのかもしれない。
さらには、長い期間のリハビリは避けては通らない。
さあ、自分、どうすんねん!?
何度も涙を流し悩んだ結果、踊り続けていきたい思いのほうが強かったので、人生初の手術を受けることを選択しました。
もちろん、とっても怖かったです。
治るかもしれない反面、踊り続けてきた自分が急に、そしてしばらく踊れなくなるだなんて。
私が負ったケガの名前は、“前十字靭帯断裂” でした。
プロのサッカー選手などが負うことのある大怪我だと同じなんだという知り、私の場合は、実際にジャンプしたりしゃがんだりが完全に繰り返しできる振りも踊れるようになるまでに、8ヶ月以上かかりました。
さらにいうと、リハビリやトレーニングをしながらできるお仕事は何かないのか、そのとき動ける状態に合わせて、できるアルバイトを探し、最終的にはリハビリをしながら、実際に社会に出てお仕事もしていました。
この【前十字靭帯断裂】というケガのことや、手術前の心境、手術前後の様子やリハビリの様子や当時のきもちについては、今後の記事で詳しくお話ししたいなと思います。
ケガをされた方やその影響で夢を諦めかけてる方に主に参考にしていただけたら、恐縮です。
完治を目前にした私は、東京でダンスや音楽のお仕事がしたい気持ちを抑えきれず、当時関西でお世話になっていたお仕事先に事情を聞いていただき、退職。
そして上京。専門学校の頃やリハビリ後半のときに働いて貯めてきたお金で、一人暮らしをはじめました。
まずすぐに、東京でお仕事を探し、面接を受けにいきましたね。家賃や食費などの自分自身の生活費に加えて、ダンス関連のことや実家のサポートのことを考えるとなると、ここでもまた1日でも早く働かないといけなかったので。
そして、新しい場所や新しいお仕事に通う新生活に慣れる前に、状況が状況だったので不安つのる中、さらなる新しいお仕事も探し、面接。なじみのない土地での新生活がスタートしてまもなく、新しいお仕事を複数掛け持つ生活もはじまりました。
そして、ダンスごと。
ダンスごとの前にお仕事いったり、お仕事が終わってからダンスごといったり。
そのときの生活の記憶は、曖昧ですね。
そして、他にもいろんなお仕事をしながら実家のサポートをしつつ、さらに並行して自分がほしいものがなんとか買える日を夢みて、ダンス以外の時間は働き続けました。
そして、月日は流れ、世界的流行ウイルス発生。
そしてまもなく拡大、自粛に。
いろんなことをさせてもらってた私のお仕事は全てなくなりました。
そして、実家の状況も過去最大に悪化。
その状況から様々な方面のことで悩み、とまらない涙が流れ続けた結果、一人暮らしの住まいを失うことを覚悟。
お仕事を失い、住まいも失いました。
そして、大切なものも、失いました。
その後、親の病の影響を受け、私もその病にかかってしまいました。
“それでもまた音楽をとおして表現したい!思ったことをいろんな形で伝えたい!”
この気持ちはありました。
今は実家サポートや祖父母の介護サポートのために、精一杯働くことが優先なのかなと思い、ダンス関連以外のお仕事を掛け持ちしています。
この秋(2020年秋)からは、車の整備補助という力仕事もはじめてより一層掛け持ちの日々の中、正直、心身ともにキリキリする中、頑張っております。(笑)
ここまでの生活になると、
ちょっとしたことで笑ってないと、なかなかやっていけるもんじゃないことを経験しながらわかってきたので、ブログでは”笑”をむやみやらたにつけるかもしれません。(笑)
そんなときは、ぜひ”クスッ”と笑ってください!(笑)
話は戻って、この秋さらにかけもちで始めたお仕事を含め、30以上のアルバイト・お仕事をさせてもらってきたわたしですが、車の整備(の補助)のお仕事はさすがにはじめてですね。(笑)
周りはもちろん皆男性のスタッフさん。
女子ひとりの現場ですが、身体の持つ限り、その場所のお仕事も精一杯努めさせていただいております。
ダンスはというと、以前と比べるとあまりできていないので、とてもつらく、かなしいのが、正直なところです。
それでも、実家が落ち着くといろいろ雰囲気も改善されるんだろうなとせめて予想だけでも明るくしてるので(笑)、
良い雰囲気の実家にさせることや生活潤わせることを目指したり、祖父母のサポート、自身のダンス&音楽ややりたいことの活動&飛躍なども目指して、より一層 一生懸命取り組んでいきます。
“華の93年組“とくくられることがありますが、これからの人がココにいます。
“これからくる人“です。🌈
【今の夢・目標】
・今が楽しくて、この先も楽しみと思える人生へと挽回していく
・我慢,辛抱,耐久生活から解放される
・楽しい&笑顔の時間を増やしていく
・靴とお財布の新調(笑)
・現状や夢、自信はないけど興味があるという人が自分なりのペースで1歩でも前に進めるようになるきっかけになること
・その人の中の”楽しい!”と感じる趣味や出来事が増えるきっかけになること
・自分が経験したことと同じように、大怪我やいじめ・家庭環境などが原因で夢や生活の希望を失いかけてる人がほんの少しでも前向きになってもらいたい_「こんな人もいるんだから俺私も頑張ろ❗️」って、きもちを楽にさせてあげられるようなことを伝えていくこと
・真剣に取り組みすぎて、パフォーマンスする側である自分が楽しむことを忘れてるので、
・「まずは自分自身が心から楽しんで、その姿や活動を応援してくださってる人を楽しませる!」ということを、改めて意識して現場にいくこと、楽しむこと
親の重症化した精神病や新型コロナウイルスによる影響を受け、
仕事も住まいも失い、生活も危機的状況に陥った自宅留学ダンサー。
「今の自分にできることは、なにか」
音楽や身体をとおして伝えたいことを表現する、、、以外にもなにかできるはず!
踊らないものでもまずやってみようかな、音声配信って、なんやろ?
ダンサーでも声をとおして思いや経験したことを伝えてみようと思い、まずやってみたんです。
突然ですが、自分のやりたいことがあっても、なんらかの事情で選択できないときがあると思います。金銭的な自由や精神的な自由がなくなって、無念にも自ら選択肢を減らさなきゃならなかったり、、、私もそうでした。
ダンスや音楽のお仕事は、実力勝負の世界。
そういうイメージをお持ちの人が多いかと思います。
たしかに、実力勝負の世界で上を見ればスキルが高い人はたくさんいます。
そのなかでお仕事を頂くということは本当に大変です。そこに衣装代や出演料、移動費など金銭面も絡んでくるので、
「どこまで上手くなったら報われるのかわからない、、、」
と思い悩むことは数えきれないほどありました。
でも、感性を磨くために作品を観たり、音楽関係以外のことにもたくさん挑戦しました。
ですが、そこでも思うようにいかなかったり、「ダンスで生きてくために、これって関係あるのかな」の繰り返し。
でも、選択を理解して、挑戦を応援してくれる人がいてくれました。そこで、やっと少し深い呼吸ができたんです。
なので、
- 「こんな人もいるんだな」
- 「こういう道もあるんだね」
と参考になれば幸いです。
とはいえ、私もそっと背中を押してもらってるんです!前進してる途中です!
一緒にいきましょう!
選択肢を広げて、いろんなことをやってみて、できること広げましょう!
笑顔になる瞬間が増えていきますように♪
楽しい時間を共有できるあのステージでまた踊りたい。
“一人の田舎の子” が復活を目指しながら、日々気になったことを書いてます。
読んでくださったあなたが、動き出すきっかけになれるといいな。
いろん過去の経験が強みになる!
経歴
少女時代 in USJイベント ダンサー 出演
番組 Mujack キンタロー。ダンサー 出演
水族館イルカショーパフォーマー1期生 合格
テレビ局員
ヒルナンデス 出演
芸能事務所に所属経験あり
その他
アルバイト含めた経験職は30コ以上‼️
谷続きで苦戦する田舎の子でも、
私もまだまだ挑戦中なんです!
ぜひ一緒に夢叶えましょう!
幸せ掴むぞ〜!お〜!!!
最後に

